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HOME > 事例集 > 社会保険審査会事例 > 夫の単身赴任後も別居が継続しており、遺族年金が不支給となった事例
事例集
夫の単身赴任後も別居が継続しており、遺族年金が不支給となった事例
公開日: 2020年2月 5日 更新日:2020年4月 8日
【社会保険審査会裁決事例】※当センターがサポートした案件ではありません。平成25年(厚)第52号 平成25年10月31日裁決
主文 本件再審査請求を棄却する。
事案概要
請求人は、老齢厚生年金の受給権者であったAが死亡したので、厚生労働大臣に対し、Aの妻であるとして、遺族厚生年金の裁定を請求したが、厚生労働大臣は、請求人に対し「厚生年金保険法第59条1項に該当しないため。請求者が死亡者によって生計を維持されていたものと認められないため。」として、遺族厚生年金を支給しない旨の処分をした。請求人は、原処分を不服として、審査請求を経て、再審査請求を行った。
争点
亡Aと請求人が生計維持関係にあったといえるかどうか。
結論
請求人は、Aの死亡当時、同人によって生計を維持したものと認めることはできないといわざるを得ず、原処分は妥当であって、これを取り消すことはできない。
本案件のポイント
本案件のように、夫と妻の住民票上の住所が別の事例について、生計維持関係が認められるには、次の(ア)、(イ)のいずれかに該当する必要があります。
(ア) 現に起居を共にし、かつ、消費生活上の家計を一つにしていると認められるとき
(イ) 単身赴任、就学又は病気療養等の止むを得ない事情により住所が住民票上異なっている
が、次のような事実が認められ、その事情が消滅したときは、起居を共にし、消費生活上の家計を一つにすると認められるとき
(a) 生活費、療養費等の経済的な援助が行われていること
(b) 定期的に音信、訪問が行われていること
本案件では、請求人は、次のように主張していました。
「Aは、自己が所有する工場で水産加工会社を経営しており、家族を残して単身赴任をし、休日は家に戻るという生活を送っていた。会社が倒産した後は、工場を買い取った会社に従業員として雇用されたので、そのまま単身赴任が継続されていたに過ぎない。」
生計維持関係にあったとはいえないと判断されたポイントは、以下の通りです。
・Aの雇用が終了し、単身赴任をする理由が解消されていたにもかかわらず、同居を再開しなかった。
・平成〇〇年までは、Aから生活費を送ってもらっていたが、〇〇年以降は、送金がなく、請求人は、自信の年金と娘の援助で我慢して生活していたと述べている。
・定期的な音信・訪問については、Aが雇用されていた頃は、一緒に食事をしたり、ペンションに泊まったりもしたとしているが、雇用終了後はあっておらず、請求人自身の体調不良に加え、長年、生活を分けていたので、わざわざAに会いに行く理由がなかったと述べている。
単身赴任という事情のもと、別居が始まったものの、事情が消滅した後も別居が継続されており、平成〇〇年以降は、経済的援助や定期的な音信・訪問が認められないことから、上記の基準を満たしていると判断することは困難であると、判断されました。
上記のような基準は、一般的・基本的なものとしては相当と解されるので、本件をこれに照らしてみると、上記1で認定した事実により、前記(1)のアに該当しないことは明らかであるので、前記(1) のイに該当するものと認められるかどうかが問題となる。
Aと請求人の別居は、住民票上では、平成○年○月○日に開始されていることが認められるところ、Aは、昭和○年頃から○○町に所有する工場で水産加工会社を経営しており、家族を○○に残して単身赴任し、休日は○○に戻るという生活を行っていたとされ、経営していた会社が平成○年春ころに倒産した後も、同工場を買い取った会社に従業員として雇用されたので、そのまま単身赴任を継続したに過ぎない旨を述べている。
そうして、Aの雇用が平成○年○月に終了し、単身赴任をする理由が解消されたにもかかわらず、引き続き別居していた理由を、夫婦それぞれが長期間の互いのライフスタイルにより、○○と○○のそれぞれの生活が互いの普通の生活となったとし、それは、Aについては、公私ともに○○での生活に慣れ、持病の糖尿病のかかりつけ医がいる○○町内に生活するのが最適であり、友達もいない都会の○○では生活できないと考えていたとされ、一方、請求人については、子供たちの教育環境面、同居していた実母の介護面から○○で生活する必要があったというものであり、互いに現状が最も暮らしやすい環境にあると思っていたので、別居を解消しなければならないという意識は希薄であったと述べている。
経済的援助については、平成○年から○年までは、Aの年金は請求人が管理し、年金の半分ほどを生活費として現金書留で送付し、その余は請求人の生活費等に充てていたところ、Aは、雇用が終了したことから、年金の入金口座を自身が管理する口座に変更したため、平成○年○月から入金がなくなり、請求人に対しては、同年○月と○月の年金から、それぞれ○○万円程度を送金してきたものの、その後は送金がなく、請求人は、自身の年金○万円程度と娘の援助で我慢して生活していたと述べている。
また、定期的な音信・訪問については、Aが雇用されていた頃は一緒に食事をしたり、ペンションに泊まったりもしたとしているが、雇用終了後は会っておらず、請求人自身の体調不良に加え、長年、生活を分けていたので、わざわざAに会いに行く理由がなかったと述べている。これらの事実を総合的に判断すると、Aと請求人の別居は、単身赴任という事情の下でなされたものであると認められるものの、この事情が消滅した後も継続されているのであり、平成○年○月以降は、経済的援助や定期的な音信・訪問が認められないのであるから、上記基準を満たしていると判断することは困難である。
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2020年2月 5日 15:41